人を好きになること
婚外恋愛に限ったことではないけれど、誰かを想っているときって、人は淋しいんだなって。
誰も好きじゃなければ、こんなに淋しい気持ちにもならないのに。
人の感情って複雑ですごく厄介だな。
側から見たら、わたしって仕事大好き〜〜家族大好き〜〜って見えているらしい。
そして、周囲からは円満のハンコが押されている。
昔から勉強が得意ではないけれど、兄が優秀だったので比較されまいとある程度の努力はしていた。
でも、みんなが思っているほどお利口さんではなくて。
だけど、学校の先生にも比較的好かれるタイプだった。なぜなら、授業とか聞いてるふり、理解のあるふりが上手だったからかな。
側から見れば八方美人的にも思われるタイプ。
喧嘩には加勢しないし、面倒臭いことが苦手だから必然と友達とも距離を置くことも義務教育期間は多かった。
いわゆる、つるむという行為は苦手だったから。
そのお陰なのか、真面目にやってきた風だから、わたしがこんなことをしていたなんて誰も想像できないと思う。
でも、周りが思っているほど仕事も家族もそれなりにがモットーだったりするし、それが良いのかもしれないけど。
だから、彼も驚いていた。
そういうタイプには見えなかっただろうから。
そして、わたしもまた自分自身に驚いていた。
今までは、よくいう好青年みたいな人がタイプだったし、旦那もまたそういう人だけど、彼は見た目はチャラそうな感じ。オシャレさんではあった。
遊びの時とかサングラスかけちゃう系のEXILEとか好きな人。
今のまでのわたしの生活では決して交わることのないタイプだったから、逆に刺激的ではあったんだと思うけど。
話が逸れてしまったけど、わたしが彼とつながっていたときは、常に淋しさが何処かにあったなって。会えばその場は楽しいけど、その後の淋しさって埋めようがないから。
このままの関係だと未来が見えないからだとも思うし、割り切れなかった事が原因だと思う。
別にお互い離婚してとかも願っていたわけじゃなかったし。
セカンドパートナーにはなりたかったけど、そこまで先のことは考えないのが男性だしね。
家族としての好き
恋人としての好き
友達としての好き
好きの形が人によって違うから、人を好きになるのはほんとうに厄介だ。
今は少しだけ淋しさが押し寄せてくる波が小さくなってきた。
これを慣れと呼ぶのか、落ち着いてきたと呼ぶのか、受け入れたと呼ぶのか。
まだ、客観的にはわからなそうだ。
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